熊本県 水俣市 【協立クリニック】 水俣病に関して 水俣病Q&A 内科 神経内科 リハビリ 精神科 等のご案内 |
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| 現代の医学の発展のスピードには目を見張るものがあります。どの疾患分野であれ、新たな疾患、病態、治療について、多くの医師により膨大なデータが収集され、最善の診断と治療方法が検討され、雑誌などに発表され、教科書も書き換えられていきます。 |
| しかしながら、公式確認から60年以上経過した今でさえ、水俣病に関する情報は正しく伝えられておりません。メチル水銀中毒としては、第二次世界大戦前のハンター・ラッセルなどの研究があったとはいえ、このような大規模な疾患の発生は、それまで世界のどこにもありませんでした。したがって、本来は、水俣病が公式に確認された後、新たな疾患および病態の発生として、例えば、「暫定的な知見をもとにした被害拡大防止→汚染地域全体の実態調査→病態の解明→暫定的な診断基準→医学研究に基づく、疾患の更なる探究」という手順が取られるべきであったにもかかわらず、そのような手段が講じられてきませんでした。本来は、被害地域全体の調査がなされ、継続的に住民の健康状態が調査されるべきだったのです。 |
| 水俣病公式確認当時を含め、初期の水俣病に関与した医学者が重症例などを確認した後、行政機構に取り込まれていく中で、このような当然の手順で追求することを止めてしまいました。また、水俣病の実態を明らかにしようとした熊本大学の水俣病第二次研究班の医師らによる積極的な調査研究も、結果的に抑えこまれていき、そのような流れの中で、特に大学などの中では水俣病の研究はタブー視されていきました。メチル水銀の曝露を受けた人々が数十万人存在してきたにもかかわらず、水俣病の研究をおこなってきた医師というのは数えるほどしかいないのです。 |
| それだけでなく、一部の「専門家」が、国の水俣病診断基準である、いわゆる「昭和52年判断条件」に、データや医学的検討に基づかない「お墨付き」を与えてきたために、2,000名余りの認定患者以外は水俣病ではない、すなわち、「メチル水銀による健康影響は認められない」とされてきたのです。当然のことながら、一般の医学雑誌や教科書も、それを前提として書かれてきました。 |
| ですから、地域の臨床家を含め、日本全国の医師、医療従事者が、「水俣病のことは分からない」と言ってしまう状態になってしまったのです。水俣病は脳が障害を受ける疾患ですから、本来は神経内科疾患なのですが、行政とかかわり「昭和52年判断条件」を支持してきた医師の多くが神経内科医で、学会の重鎮等であったため、神経内科医の大半は、水俣病の知識も診療経験も持ち合わせず、世界的に問題になっているメチル水銀の人体影響についても知る機会がないという、皮肉な状況になっているのです。 |
| 人間の脳細胞の数は140億個といわれています。劇症水俣病の最重症患者の脳は肉眼でもわかるくらいの泡沫状組織になっていましたが、それはごく一部の症例であり、多くの患者や住民は惨劇のなかのサバイバー(生存者)であり、多かれ少なかれ中枢神経の可塑性が保たれており、障害をもちつつも、例えば記憶や学習等の能力が廃絶するわけではないのです。例えば、140億個のニューロンの数パーセントあるいは数10パーセントがメチル水銀により失われた際の影響、それも曝露年齢によっても異なる影響がどうなるかは、医学では未知の領域なのです。メチル水銀中毒と同様の障害を引き起こす類似の神経疾患というのはほとんどないのです。 |
| しかも、メチル水銀中毒などの中毒性疾患の研究は、現場の患者住民を観察し、それも重症から軽症者に向かって進まなければならず、正常との境界を問題にしなければなりません。軽症例の追求こそ最も重要な課題の一つなのですが、そのことも神経内科分野の専門家に十分理解されているとはいえません。もっとも、この間、行政により救済されてきた患者らは、このような境界例ではなく、健康障害が明確な人々です。 |
| 残念ながら、神経学の専門家ならば当然有していなければならないこのような基礎的な態度をしっかり持っている専門家というのは必ずしも多くありません。それは、水俣病においては、学界に対する行政の影響力が異常に強かった歴史があることが原因であろうと考えられます。2009年7月17日の朝日新聞で、環境省の環境保健部長(当時)は、水俣周辺地域の健康調査に関して、「カネというバイアスが入った中で調査しても、医学的に何が原因なのかわからない。」と述べました。この発言は、環境被害では補償が関連しうる可能性が高いことを考えると、「環境被害等による被害者の苦痛は自動的に無視されてよい」そして「環境被害による苦痛についての医学的検討は必要ない」ということを意味しています。環境省はいまだにこの発言を訂正しておりません。 |
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| これまで、水俣病や水俣病患者に対する差別がありました。それは、病気自体に関するものであったり、金銭的利害に関するものであったり、様々な形をとって行われてきました。そのため、この数十年間、水俣周辺地域の多くの人々は、水俣病による症状を医師や隣人に伝えるのではなく、自分の病気を隠し、耐えつづけなければならなかったのです。 |
| これまで、水俣病に関して地域内外で、「水俣病は感染する」、「水俣病患者は金目当て」などという無知に基づく差別的な発言がなされてきました。本来、環境被害や食中毒疾患が発生したときに、行政はそれを徹底的に調査し、住民に知らせ、対策を立てる義務があったのにそれを怠ってきたのです。患者や住民には何の責任もありません。 |
| 近年、企業活動や製品による事故などがあったときは、企業が先に消費者に情報提供し、対策を立てるようになりました。本来ならば、被害者の為に行政と企業が先に行動すべきであるのに、今なお、水俣病の認定申請でさえ、患者本人がしなければならないのです。 |
| チッソおよび行政は、自らが広げてしまった汚染物質による被害の実態を解明するための調査をほとんど行おこなわず、第二次世界大戦後のメチル水銀による健康被害のかなりの部分は、私たちを含む日本の現地での症例によって解明されてきたのです。しかも、メチル水銀では、低濃度汚染や長期汚染の影響に関して、広大な未知の領域が残されており、少額の補償のみに限定された現状の政策で済まされる問題ではないのです。 |
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| おそらく、このホームページをご覧になられる皆様も、「水俣病」と聞くと、痙攣を起こして踊り狂うように苦しまれたり、やせ細って関節が曲がって固まったりされた、劇症型水俣病患者の姿を思い浮かべられるのではないでしょうか。 |
| このような劇症型水俣病はメチル水銀中毒の頂点に位置する病態であり、そのような方々の多くは現在すでに亡くなっておられます。原田医師の病像ピラミッドに表現されているように、重症患者から軽症患者まで、メチル水銀の曝露量と個人の感受性により、様々な病像と重症度を示しうるのです。 |
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| しかも、特にメチル水銀の成人曝露による水俣病では、神経内科の診察では運動系よりも感覚系の神経が傷害されるため、他人からは一見障害がないようにさえ見えます。しかも、詳細に観察すると、感覚、運動、精神系の機能が薄く広く、重症者では、厚く広く障害されていくのです。また、傷害されるのが大脳皮質を中心とした中枢神経であるため、中等症例あるいは軽症例では、症状の動揺がみられたり、特定の機能についての改善がみられたりするのです。 |
| このような人々についても、多くの場合、感覚をよく調べてみることでその障害がわかります。ただし、メチル水銀の胎児曝露で知られている胎児性水俣病では、運動障害が著明な人でも感覚障害がほとんどない方もおられます。このように、水俣病は非常に多彩な病像を有しているのです。私たちのように何千例をみている医師ですら、患者の自覚症状を聞き、きちんとした神経学的検査をすることなしに、水俣病を診断することはできません。見た目だけで、水俣病らしさについての論評をしないでください。 |
| また、「水俣病の患者は、・・・」という形で、患者の意思や感情、性格等に関する論評を行う人がいます。しかし、多様な社会的立場、多様な人格、性格を有する地域住民全体が被害者であったのであり、そのような患者層に対する心理的特徴づけなど不可能なのです。そのような論評のしかた自体が、無知と誤解に基づくものであり、差別につながるものです。もしそのような一定の心理傾向が存在するとすれば、それは差別や水俣病に対する恐怖心や水俣病を避けようとする気持ちでしょう。 |
| 日本の国民が、水俣病に対する劇症例の印象をそのままにすることは、現在の国の誤った水俣病判断条件(いわゆる昭和52年判断条件)を維持する上でも役立ったかもしれません。熊本県、鹿児島県の水俣病認定審査会は、これまで、昭和52年判断条件に適合する患者の多くも棄却してきました。一時期を除いて、判断条件も厳しく適用したのです。当然のことながら、このような国側の医師は、ごく一部を除き、軽症例や感覚障害に関する研究そのものをしてきませんでした。 |
| そのような厳しい状況の中で、熊本大学水俣病第二次研究班、原田正純医師、藤野糺医師などが、実際の患者に関するデータを集め、水俣病の実態と病態の解明のために努力してきました。私たち県民会議医師団も、水俣病の諸症状、特に感覚障害に関する研究を行い、多くのことを見出してきました。特に、近年の研究では、水俣病で全身性感覚障害と四肢末梢優位の感覚障害の両方が起こりうること、中枢神経障害であるにもかかわらず、手袋足袋型の末梢神経障害様の表在感覚障害を起こすこと、などが分かってきました。 |
| しかし、一方で、まだまだ未解明のことが数多く残されています。それは、メチル水銀中毒のように、中枢神経系、特に大脳皮質細胞を様々な程度に広く障害するような疾患は、これまでほとんど存在してこなかったからなのです。大脳皮質の障害では、症状の動揺、優位に障害される機能の個人差、可塑性による症状の一時的あるいは中長期的改善などが起こりうると考えられるからです。一方で、年月を経ることにより、症状が新たに出現したり、増悪したりする症例も少なくなく、これらは、断続的または持続的低濃度汚染や加齢に伴う可塑性の破綻が原因と考えられます。 |
| また、水俣病患者の中には、一見正常に見えて、実際に仕事につくと、作業がうまくできなかったり、理解や判断などでハンディがあったりという例が少なくありません。このような判断力や集中力などを含めた高次の脳機能に対するメチル水銀の影響について、私たちも、データを蓄積しつつありますが、まだまだこれから解明していかなければならない課題が残されています。 |
世界では、低濃度水銀の成人や胎児の脳への影響がいわれています。成人あるいは母親の毛髪水銀が10ppm前後あるいはそれ以下の濃度で、成人の知能や運動機能の障害、出生胎児の成長過程での障害が報告されるようになっています。特に、妊婦や小児などでは、メチル水銀濃度の高いクジラやマグロなどの大型魚の摂取を控えるようにという勧告が各国で出されています。 |
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| 昭和31年(1956年)4月21日と23日、5歳と2歳の姉妹が原因不明の神経障害でチッソ附属病院に入院、同病院の細川一院長は、同年5月1日に水俣保健所(伊藤蓮雄所長)に報告し、これが水俣病公式発見とされています。しかし、細川院長は、同様の神経症状をきたした患者の発生を昭和28年12月までさかのぼりました。また、熊本大学第二次水俣病研究班の調査では、戦前の昭和17年(1942年)には患者が発生していた可能性もいわれています。 | |||||
| 当初、水俣病の原因は判明せず、「奇病」と呼ばれ、感染症を疑った隔離や差別もありましたが、昭和31年(1956年)10月の熊本医学会では、感染症の可能性は否定されています。同年12月、熊本大学の喜田村教授が水俣湾内の魚介類の危険性を証明しましたが、これらの研究は行政によって無視されました。昭和33年(1958年)9月、それまで被害が発生していた水俣湾への排水口を水俣川に変更し、汚染は不知火海を北上、南下する潮の流れとともに、八代海全体に広がっていきました。 原因解明にチッソと行政が協力しない中、熊本大学の研究班は、昭和34年(1959年)7月、その原因を有機水銀と結論づけました。同年11月12日、厚生省食品衛生調査会・水俣食中毒部会は「奇病」の原因をある種の有機水銀中毒と発表し、更なる調査の必要性を認めましたが、厚生省は翌日それを解散させたのです。その後の必要な調査はなされず、食品衛生法、水質二法、熊本県漁業調整規則などによる法的な漁獲規制も行われなかったため、チッソはアセトアルデヒドの生産を続け、排水は海に流され続けることとなりました。この国の政策は誤りであったと、最高裁の判決で指摘されています。昭和34年(1959年)12月、チッソは水銀除法に効果があるというふれこみでサイクレーターという排水処理施設を完成させました。しかしこのサイクレーターは工場内の水銀を含む排水系統とは無関係で、全く効果がなかったことがその後あきらかになっています。 |
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| 昭和43年(1968年)5月、チッソによるアセトアルデヒドの製造が終了し、全国のアセトアルデヒド工場の操業が停止された後、同年9月、政府は水俣病の原因をチッソのメチル水銀と認め、水俣病を公害病と認めました。すでに水俣病公式発見から12年もの月日が過ぎていました。その間、水俣病患者は増え続けました。 | |||||
| 昭和44年(1969年)、患者はチッソに損害賠償を求めて裁判を起こしました。昭和48年(1973年)に患者勝訴の判決が確定するまでは、水俣病患者は十分な補償を得ることはできませんでした。 | |||||
| 一方で、水俣病患者は、地域での差別にも苦しみました。水俣病の原因が明確になる以前は、水俣病が「伝染する」という差別を受け、水俣病の原因が明確になってからも、補償金目当ての「ニセ患者」という差別を受け、そのため、水俣病の症状があることを多くの人々は隠し続けてました。結婚差別もありました。そういう環境の中で、水俣病についての医師の診察を受けたり、補償を求めたりすることはとても大変で困難なことでした。 | |||||
| 昭和46年(1971年)7月、環境庁ができ、川本輝夫氏らの行政不服請求事件の結果を受け、認定基準を示しました。それは、メチル水銀に汚染された魚介類摂取歴のある者が、感覚障害、視野狭窄、運動失調(手足などのスムーズな働きができないこと)などの症状のうち一つでもあれば認定するというものでした。しかし、実際には、人体汚染についての十分な包括的調査は行われず、被害の実態解明は行われませんでした。 | |||||
| 「クリニック紹介」にも記載していますが、このような状況の中で、1970年1月、ボランティアの医師有志が水俣地域の患者を診察するようになりました。熊本大学の水俣病第二次研究班のメンバーであった藤野糺医師は、1970年6月、水俣病患者を診察するようになりました。そこで、治療もされず、補償もされずに生活苦にあえいでいた多くの患者を目のあたりにし、1974年1月の、水俣診療所の設立につながりました。 その後も、県民会議医師団により、患者救済のための医療活動が続けられました。その結果、四肢末梢の感覚障害や失調などをもつ多くの患者がみつかりました。認定申請者の急増と、チッソの経営難、チッソ県債の発行にあわせて、1977年、国は水俣病判断条件を厳しくしましたが、そのもととなる医学的なエビデンス(証拠)は今日まで何も提示されていません。 実際には、原田正純医師の汚染のピラミッドモデルにみられるように、水俣病には、重症例から軽症例のさまざまな病態が存在すると考えられ、これらを実証するために、藤野医師らは、県民会議医師団と協力して、メチル水銀中毒症状についての桂島研究を行いました。 桂島は水俣市から南西に12km離れた離島です。桂島は、当時としては比較的汚染が少ないとされており、鹿児島大学の研究グループは、1973年にこの島の住民の診察と検査を行い、「桂島には水俣病患者はいない」と結論づけていました。1975年、水俣診療所の藤野医師と当時のスタッフは、この桂島を汚染地域として調査し、鹿児島県奄美諸島の一漁村と比較する疫学調査を開始しました。 その結果、桂島の住民は、奄美地域と比較して、感覚障害、視野狭窄、その他の症状が有意に多く、感覚障害のみの患者から、ハンターラッセル症候群の症状を持った最重症の患者まで多彩な病像を示していました。この研究により、感覚障害のみを有する水俣病の存在が医学的に示されました。なお、検診を受けた桂島の住民の多くは、その後、水俣病に認定されることになりました。 |
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一方で、環境庁(当時)の主導で、昭和60年(1985年)10月11、12日、祖父江逸郎氏を座長として「水俣病に関する医学専門家会議」が開かれ、昭和52年判断条件は妥当であるとしました。その後、日本精神神経学会は、この会議についての調査し、この会議の意見について、いかなる科学的妥当性も見出せなかったと発表しました。 |
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| 水俣病の病像を争った第二次水俣病裁判、および、国・県の行政責任と病像を争った第三次水俣病裁判においては、証拠となる医師の診断書が必要でした。そこで県民会議医師団と水俣協立病院の医師は、丹念な診察の後に、裁判に参加した1,400名近い患者の診断書を作成したのです。その医学的診断についての証言を裁判所で行った医師らの病像は、第二次および第三次水俣病裁判において認められました。 | |||||
| 平成12年(2000年)当時、熊本県と鹿児島県で合わせて2,263人が水俣病に認定され、10,350人が水俣病総合対策医療事業の対象として救済されていました。 | |||||
| 一方、水俣病関西訴訟は58人の原告が裁判を続け、平成13年(2001年)4月、大阪高等裁判所は、水俣病の拡大に対して国と熊本県の責任を認め、原告の多くを水俣病と認めました。平成16年(2004年)10月15日、最高裁判所も大阪高等裁判所の判決を支持し、国と熊本県の行政責任が確定しました。 | |||||
最高裁判決後、多くの住民が、水俣病の認定申請をしました。2005年11月、当時の熊本県知事であった潮谷義子は、汚染地域の健康調査を提案計画しましたが、国は拒否しただけでなく、水俣病の認定基準を変えず、救済策を示さなかったため、平成17年(2005年)10月、ノーモア・水俣訴訟が提訴されました。この裁判では、医師団のこれまでの数々の医学データが提出されました。 平成21年(2009年)9月20日、21日におこなわれた不知火海沿岸健康調査では1000名以上の住民が検診を受けました。この検診で、受診者の90%に水俣病に特徴的な神経所見を認めました。未だに多く未認定患者が存在することが明らかになり、平成23年(2011年)3月和解となり、国は原告を水俣病被害者と認めました。 現在、裁判をしなかった患者は、平成23年(2009年)7月に成立した水俣病特措法の施策で救済されています。特措法での救済患者数は2011年9月現在公表されていませんが、これまでに総数で6万人以上の住民が水俣病と認められたと推定されていますが、指定地域以外の患者や1969年12月以降に生まれた患者の救済は進んでいません。この法律は3年の時限立法とされており、差別や情報不足のなかで、全被害者が救済されるかどうかが問題となっています。また、これらの裁判や救済策に同意せず、裁判を続けている患者もいます。 |
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・S31年、熊本大学・公衆衛生、小児科、第1内科、第2病理などの各講座による水俣現地での調査・研究が始まる。 ・水俣病診査協議会での、S35年からS40年までの認定数、わずかに33名。 ・S40年、阿賀野川流域疫学調査。 ・S46年、熊本大学「10年後の水俣病研究班」(通称・第二次研究班)調査開始 ・S60年、水俣病第二次訴訟福岡高裁判決、感覚障害のみの水俣病を認める。 ・H7年、水俣病「政治解決」、大量の保留者をも棄却し「解決」。 ・H16年、関西訴訟最高裁判決で、国の責任を認める。・判決後、大量の水俣病認定申請、保健手帳申請。 |
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当クリニック、水俣協立病院、熊本民医連、公害をなくする熊本県民会議医師団関連の研究業績です。
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| ・高岡滋、藤野糺、川上義信、谷口一也、赤木正彦、福原明:メチル水銀汚染地域の患者の自覚症状 (Symptoms among patients in a methylmercury-polluted area.)【第6回水銀国際会議・水俣・2001年10月】 |
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| ・高岡滋:メチル水銀汚染地域の内科外来患者の自覚症状【第43回日本神経学会総会・札幌・2002年5月】 | |||||||||||||||||
| ・高岡滋:水俣周辺地域におけるからすまがり(こむらがえり)の発症時期と頻度について【第36回日本神経学会総会・名古屋・1995年5月】 | |||||||||||||||||
| ・高岡滋:、藤野糺、重岡伸一:水俣病発生40年後のメチル水銀汚染地域住民にみられる高頻度のこむらがえりについて【第5回水銀国際会議・リオ・デジャネイロ・1999年5月】 | |||||||||||||||||
| ・高岡滋、川上義信、谷口一也、赤木正彦、藤野糺、関川智子、他:こむらがえりは、水俣病患者やメチル水銀汚染地域で高率に発生する(Muscle cramps are highly prevalent among Minamata disease patients and residents in methylmercury-polluted areas.)【第6回水銀国際会議・水俣・2001年10月】 | |||||||||||||||||
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| ・高岡滋、川上義信、奥田和久:水俣病発生約50年後の水俣周辺地域における新たな検診受診者の徴候(Symptoms of newly-examined residents around Minamata City nearly 50 years after the outbreak of Minamata disease.)【第8回水銀国際会議・マジソン・2006年8月】 | |||||||||||||||||
・高岡滋、川上義信、重岡伸一、鈴木博、清島美樹子:体性感覚障害を有するメチル水銀汚染地域住民の神経所見スコア化の試み【第49回日本神経学会総会・横浜・2008年5月】 【PDF閲覧 405KB】
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| ・高岡滋、藤野糺、関川智子、宮岡徹:メチル水銀曝露歴を有する人々に対する心理物理学的感覚検査(Psycophysical sensory examination in individuals with a history of methylmercury exposure.) Environmental Research 95巻、p126-132、2004年 | |||||||||||||||||
| ・高岡滋:中高年者における、口唇手指の二点識別覚閾値の正常値【第42回日本神経学会総会・東京・2001年5月】 | |||||||||||||||||
| ・高岡滋、柏木勇蔵:水俣病において、体性感覚障害は、大脳皮質障害によって引き起こされる(Somatosensory disturbance is caused by cortical damage in Minamata disease.)【第6回水銀国際会議・水俣・2001年10月】 | |||||||||||||||||
| ・高岡滋:慢性期メチル水銀中毒患者の深部感覚障害【第44回日本神経学会総会・横浜・2003年5月】 | |||||||||||||||||
| ・高岡滋:慢性メチル水銀中毒患者の触覚サブモダリティの研究【第45回日本神経学会総会・東京・2004年5月】 | |||||||||||||||||
| ・高岡滋、藤野糺、柏木勇蔵、関川智子、宮岡徹:メチル水銀曝露を受けた人々に対する心理物理学的体性感覚検査(Psychophysical somatosensory examination of the methylmercury-exposed individuals.)【第7回水銀国際会議・リュブリャナ(スロベニア)・2004年6月】 | |||||||||||||||||
| ・高岡滋:メチル水銀汚染地域住民の体性感覚障害の特徴【第47回日本神経学会総会・東京・2006年5月】 | |||||||||||||||||
| ・高岡滋:メチル水銀汚染地区住民の感覚障害の特徴(Characteristics of somatosensory disturbance of residents in the methylmercury-polluted area.)【第8回水銀国際会議・マジソン・2006年8月】 | |||||||||||||||||
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| ・ 高岡滋:メチル水銀曝露住民の視覚探索能力【日本心理学会第72回大会・札幌・2008年9月】 【PDF閲覧 30KB】 | |||||||||||||||||
| ・川上義信、高岡滋:メチル水銀曝露住民の視覚探索【第50回日本神経学会総会・仙台・2009年5月】 | |||||||||||||||||
| ・高岡滋、川上義信:メチル水銀曝露住民の視覚探索(Visual search of methylmercury-exposed residents) 【第9回国際水銀会議・貴陽(中国)・2009年6月】 |
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| ・高岡滋:メチル水銀被曝露者に対するコース立方体検査 (Application of Kohs block-design test to methylmercury-exposed people) 【第9回国際水銀会議・貴陽(中国)・2009年6月】 |
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| ・高岡滋:メチル水銀被曝露者に対するコース立方体検査 【第105回日本神経精神学会・神戸・2009年8月】 |
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| ・高岡滋:慢性期メチル水銀中毒患者の求心性視野狭窄【第46回日本神経学会総会・鹿児島・2005年5月】 (病気のため発表できず、学会誌に抄録掲載) |
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| ・高岡滋:メチル水銀汚染地域における要介護者の特徴 【第41回リハビリテーション医学会学術集会・東京・2004年6月】 | |||||||||||||||||
| ・高岡滋、藤野糺:水俣周辺地域にみられるからすまがり(こむらがえり)に対する芍薬甘草湯の有効性【第37回日本神経学会総会・大宮・1996年5月】 | |||||||||||||||||
| ・高岡滋、川上義信:水俣病の発生から約50年を経て、なぜ多くの住民が水俣病検診を受け始めたのか?(Why so many residents began to receive the Minamata disease examination almost 50 years after the outbreak of Minamata disease?)【第8回水銀国際会議・マジソン・2006年8月】 | |||||||||||||||||
| ・高岡滋:どのように水俣病は隠されてきたのか−新たな水俣病検診受診者の意識調査−【日本心理学会第70回大会・福岡・2006年11月】 【PDF閲覧 662KB】 | |||||||||||||||||
| ・高岡滋:新潟県阿賀野川流域の未認定水俣病患者の症候【第48回日本神経学会総会・名古屋・2007年5月】 | |||||||||||||||||
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| ・高岡滋:水俣病の実像−新しい申請患者の実態からみえてくること環境と公害−35巻2号、p36-41、2005年 ・新たにわかってきた水俣病のはなし・NPOみなまた・2005年7月 |
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| ・高岡滋、藤野糺、川上義信、谷口一也、赤木正彦、福原明:メチル水銀汚染地域における医療機関の医学研究に対する役割(The role of clinicians in medical research in methylmercury-polluted areas.)【第6回水銀国際会議・水俣・2001年10月】 | |||||||||||||||||
| ・高岡滋:水俣病公式発見から50年水俣病健康被害の現状と今後の課題・民医連医療 (0285-2241)411号Page6-11(2006.11) 【 全日本民医連ホームページ 】 ・高岡滋:水俣病診断総論 2006年11月19日 【PDF閲覧 1MB】 |
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| ・高岡滋:水俣病の診断および鑑別診断、共通診断書の意義等に関する意見書 2007年11月4日 【PDF閲覧 348KB】 | |||||||||||||||||
| ・高岡滋:ノーモア・ミナマタ訴訟と水俣病の医学. 民医連医療(0285-2241)439号Page53-59(2009.3) 【全日本民医連ホームページ】 | |||||||||||||||||
| ・高岡滋:水俣病不知火海沿岸住民健康調査とその意義. 民医連医療454号 Page6-11(2010.6) | |||||||||||||||||
| ・板井八重子:被害者・患者がいる限り・・・水俣病不知火海沿岸住民健康調査報告. 民医連医療454号 Page12-15(2010.6) | |||||||||||||||||
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メチル水銀の人体影響 平田宗男: 田浦町集検報告. 医学評論 46: 59-65, 1974. 藤野糺,住吉司郎,南龍一,平原輝雄,服部英世,原田正純,堀田官立: 精神遅滞の臨床疫学的研究−有機水銀汚染の影響−. 熊医学会誌 50: 282-295, 1976. 原田正純,藤野糺,樺島啓吉,立津政順,衛藤光明,武内忠男: 長期にわたって精神病とされた水俣病−剖検所見と水俣病の精神症状−. 精神医学 18: 934-944, 1976. 藤野糺: ある島における住民の有機水銀汚染の影響に関する臨床疫学的研究(第1報 汚染地区件民の一斉検診). 熊医会誌 51: 22‐62, 1977. 藤野糺: ある島における住民の有機水銀汚染の影響に関する臨床疫学的研究(第2報 非汚染地区住民の一斉検診). 熊医会誌 51: 90‐147, 1977. 藤野糺,板井八重子, 原田正純: 先天異常と環境汚染による有機水銀の影響の検討 ‐Laurennce-Moon-Biedl症候群をめぐって‐. 体質学誌 44: 103-115, 1980. 藤野糺: ある島における住民の有機水銀汚染の影響に関する臨床疫学的研究、第3報 I.汚染地区における若年者の一斉検診 II.水俣病診断に対する新たな諸検査の試み. 熊医会誌 54: 149-193, 1980. 樺島啓吉: 小児期発症水俣病の臨床的研究. 熊本医学会雑誌 54: 104-126, 1980. 藤野糺,板井八重子: 熊本県御所浦町住民の自覚症状、神経症状の推移 −メチル水銀の慢性微量汚染の影響に関する研究−. 医学評論 7: 51-57, 1983. 衛藤光明,原田正純,三嶋功,藤野糺,板井八重子,武内忠男: 水俣病の臨床と病理の比較検討−25年の経過をとった精神症状を伴う水俣病の1剖検例−. Neruopathol 5: 29-40, 1984. 藤野糺,板井八重子: 有機水銀汚染地区住民の臨床症状の遷移 −比較的少量の汚染の影響に関する臨床的研究−. 体質医研報 34: 541-558, 1984.
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高岡滋、小宮忠利、北田徹、ト部貴夫、水野美邦: 脳血管障害による痴呆発症要因に関する研究. 高岡滋、小宮忠利、北田徹、ト部貴夫、水野美邦: 脳血管障害による痴呆発症要因 高岡滋、横山和正、水野美邦、佐藤猛: 抗パーキンソン剤による幻覚・せん妄 −パーキンソン病患者にみる出現要因 高岡滋: 交通外傷性頚椎捻挫に対する漢方エキス剤と穴位注射併用療法. 高岡滋: 不安症状に対する加味帰脾湯の効果.【第56回日本東洋医学会学術総会、富山、2005年6月】 高岡滋: 個別ケア重視のグループホームは、問題行動を有する痴呆性老人への対応に有効である. 高岡滋: ベル麻痺に対する穴位注射療法.【第57回日本東洋医学会学術総会、大阪、2006年6月】
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